2011年07月25日

三代をもって人生の完結とする。

女子サッカーの「なでしこジャパン」の
ワールドカップ優勝に続いて
女子ゴルフの宮里藍の米女子ゴルフエビアン
マスターズの優勝と日本の若い女性の活躍が
目立っている。

国内では何ともいえないような
閉塞感で満ち溢れているようだが、
世界では彼女たちだけでなく
いろんな分野で活躍している若者が
目立つようになってきた。
確実に日本の次世代を担う若者は
着実に育っているなぁ、と感じるこの頃だ。

そういった光景を見ながら
逆に自分の息子をクビにしたマツさんの
ボヤキが耳から離れない。

もてるだけの愛情?と資金と時間を
かけて育てたと思っていた長男が
齢30歳を過ぎても企業戦士として
全く役に立たず、その上大きな借金が発覚し、
まさに堕落の一途を辿っていると判断し
思い切った決断をすることになった
と言うのだ。

「息子は嫁に似て頭が悪いんだよなぁ。
あのゲーテも妻を頭の良さより若さや、
顔のよさで選んだためにか、
息子が妻のほうに似てしまって馬鹿だったんだ」
といかにもダメな息子の責任は頭の悪かった
妻にある、といいたげだ。

名だたる戦国大名でも有名な経営者でも
その評価はいかに有能な次世代を育てたか?
と言うことに尽きてしまう。

豊臣秀吉や織田信長,武田信玄といった
日本では人気のある武将に比べて
徳川家康や毛利元就などが欧米などで
圧倒的に高い評価を得ているのは
次の世代をしっかりと育てた、
というところだ。

特にユダヤ人の富裕層は
男の生涯のいちばんお大仕事は
金を稼ぐことよりも優秀な息子を
育てることである、と言い切る。

それはどんなに自分の時代に富や名声を
得たとしても、息子や孫がバカだったら
すぐに失ってしまい、自分の存在の
意味すら消滅してしまう、という彼ら独特の
処世術なのだろうが・・・。

まあユダヤ人や戦国大名に限らず
どんな立派で大きな会社を作ったとしても
子どもをうまく育てられなければ
たとえ会社は残ったとしても
創業家は概ね消滅してしまうか追い出されている。

徳川家康や毛利元就は
「三代をもって人生とする」と言い、
家の繁栄は後継者がすべてである、
と次世代の教育を第一とした。

家康は武家諸法度などによって
徳川幕藩体制を磐石にした
孫の三代将軍徳川家光を育て、
毛利元就は毛利本家を継いだ
長男、毛利隆元亡き後、孫の輝元を
次男、吉川元春と三男小早川隆景とともに
毛利家総領として育てたように。

5年前のイギリスの首相
トニー・ブレアは国の重要方針として
「一に教育,二に教育、三に教育、
国家最大の資源は優秀な人材である」
として英才教育に力を注いだ。

いまだにケンブリッジ大学や
オックスフォード大学には
世界から優秀な頭脳が集まり、
ハーバード大学やスタンフォード大学の
数倍もの科学や政治、経済に関する
学術的機密情報が集まるといわれている。

子育てや孫育てといった次世代教育は
大きな事を成し遂げるよりも
難しいことかもしれないね。

最近、近所で嫁に行った娘が離婚し、
2人の娘を連れて実家に帰ってきたので
これいいことに孫の教育に励んでいる
同い年くらいの知人がいる。
(でもどりはいまや普通になりつつある
くらい多いんだよね)
またまた生きがいが出来た、
と喜んでいるのだ。





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2011年07月15日

民間にはこんなに再分配システムがある。

「貧困率が16%と最悪」といった
類の記事が各紙で取り上げられていた。
ここでいう貧困と言うのは明日食べる
食料がないとか、寒さを凌ぐための
家がない、と言うような危機に迫った
貧困と言うことではなく
お金持ちと貧乏との収入の開きの
相対的な統計で、ますます日本は
貧富の差が開く傾向にあることを示したものだ。

しかしそういった貧富の差は
ほっておくとよくない、ということで
さまざまな政治的再分配システムがあるのだ。

「再分配システム」とは政治的に税金や
社会保障などの増減で所得の偏りを
是正する仕組みで、
高所得の人はより多くの税金や
社会保障費を払うので、
実質的な可処分所得が減り、
一方、所得の低い人や病気などの人は
税金や社会保障費をあまり払わず、
障害年金や各種手当てを受け取る。

このように税や社会保障を通して、
お金をたくさんもっている人から
余りもっていない人に移転させるのが
「再分配システム」なのだ。

たとえ一部の人の収入が突出して高く、
再分配前の貧困率が高くても、
再分配後の貧困率が低ければ
実質的な格差はないことになる。

その場合は、税や社会保障など再分配の
仕組みが巧く機能しているのだろう。

「再分配システム」といえば、
普通は税制と社会保障制度を指す。
しかし社会には「非公式な再分配の仕組み」も
たくさんあるのだ。
今日はそれらの「民間型再分配システム」
あるいは「アングラ再分配システム」
を合法・非合法にかかわらず
おちゃらけのりでで考えてみた。

じじばば再分配

裕福な祖父母が孫にお小遣いをあたえ、
娘や息子には住宅取得費を補助、
さらに日常的にお米や野菜を送るなど
生活費用を日頃から援助して、
世代間で所得が移転する仕組み

ボクの周りでも大学卒業までの学費を
すべてお爺ちゃんに出してもらった、
という子どもがけっこういるのだ。

そういえばボクの両親も長男には
24歳までお小遣いを与えていたようだ。

振り込め再分配

振り込め詐欺により、何百万から千万円も
貯めている高齢者から、「や」の人、
そして「や」の人に雇われた
貧しい若者達(もしくは失業者、多重債務者)
に所得が移転する仕組みで、けっこう金持ちで
孤独な高齢者が中心になるらしい。

キャバクラ再分配

実力以上の給与を受け取っているオヤジから、
キャバクラ嬢や、(キャバ嬢経由)で
ホストの若者など、若い世代に所得が
移転する仕組み。

税金対策再分配

税金対策のためにほとんど使わない
投資用マンションや別荘、ヨット、
高級車を買う開業医、歯医者、中小企業の
オヤジのお金が、別荘販売会社や
外車販売会社などでノルマに追われる
営業マンの給与として移転する仕組み

デモドリ・パラサイト再分配

終身雇用制度の下、ツツガナク地道に
資産形成してきた親世代が、
結婚したはいいが若い旦那に生活力がなかった、
ということで早々に離婚したデモドリ娘と
その子どもまで世話をすることや、
ニートやヒッキー、もしくは非正規で
働く低所得労働者の息子や娘を、
40代、50代まで同居させて養うことによる
実質的な所得移転の仕組み。

投信&変額年金再分配

数千万円もの退職金をもらえる大企業勤めや
公務員の団塊世代が、退職金で投信や
「海老の養殖ファンド」や「環境に優しい森ファンド」
などに投資して大損し、投信販売ノルマに
追われる若い世代にそれらの販売手数料を
稼がせる所得移転の仕組み。
(「リフォーム再分配」とか「シロアリ再分配」も
類似商品)

なお、道を歩いている高齢者のかばんを
若者がひったくることを「ひったくり再分配」
という人もいるが、これは再分配ではない。
再分配とはお金が「富者から貧者」に移動することで
ひったくりについては、多くが「貧から貧」への
資金移転なので再分配の仕組みとはいえないのだ。
(アリババやねずみ小僧や石川五右衛門は
金持ちから盗んでいたけど・・。)

まあ、ボクとしては基本的に相続制度は廃止、
死んだらすべて国が没収、ということにすれば
いいんじゃないかと思う。
お金持ちの高齢者が生きているうちに
いろんなものに金を使って、景気がよくなるかも
しれないしね。

財産を残さないのは死ぬものの
最後の責任かもしれないね。


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2011年07月13日

市民のための政治か、業界のための政治か?

今ネットなどで玄海町町長の岸本氏の
弟の経営する岸本建設の九州電力との
癒着問題が話題になっているようだ。

べつに彼の親族に限らず
原子力発電をはじめ発電事業と言ったような
政治的配慮が欠かせない大きな事業体は
どうしても政治家との癒着は致し方ない。

佐賀県知事や福島県知事にしても
親族がいろんな形で東京電力に絡んでいるようだし、
東北地方のようなところで知事や
自治体の首長にでもなろうとするなら
どうしても電力会社との関係は深いものとなる。

やらせメール問題でとりあえず原発の
再開はいちおう玄海町の町長としては
中止と言うことになっているようだが、
本音はやはり少しでも早く再開したいのが本音だ。

しかしなかなかそれを言い出せないのは
次の選挙で「原発族町長」ということが
あからさまになって、町民にそっぽを向かれ
選挙に落選し、長年にわたっての九州電力との
癒着問題や政治献金や選挙資金問題などで
追い詰められるのでは、という危険を
感じているからだろう。

これは玄海町町長や佐賀県知事だけに限らず
他の知事や首長などの同じことが言える。

まあ当初から環境を訴えて当選した滋賀県
の嘉田知事や、圧倒的人気とカリスマ性、
そしてシガラミノのないことを好感して当選した
大阪府の橋下知事は別にして、
多くの知事は原則、原発推進派だろうから
中々「私は反原発です」と大きな声で
訴えることはなかなかできなかった。

しかし今回の福島原発事故で大きく流れが変わり
次の選挙を考えると「私は反原発、脱原発です」
と言わざる得ない局面がやってきたのだ。

「裏切り者」と言われるかもしれないが
選挙に勝とうと思うのならそれもいた仕方ない。
愛媛県にある伊方原子力発電所も
現在1基は休止しており
政治的思惑としてはできるだけ早く
再稼動させたいのが本音だろう。

しかしここまで原子力発電のリスクや
放射能汚染の怖さがメディアによって
あからさまになると、
やはり難しい選択に迫られることだろうね。

今までのように潤沢な政治資金を基にした
保守的な業界側につくか、
体制に直接関係のない革新的な市民側につくか、
今日本の政治手法が試されているような気がするのだ。
古い日本と新しい日本との分岐点が見えてきた。

そうこう書いているうちに
テレビで菅総理大臣が「日本は脱・原発社会
目指しますと」を公式にコメントした。

さて具体的にどういったプログラムで
進めていくのか、その具体案が重要。

さて安全と経済や健康との間に
どういった形で折り合いを作っていくか、
さてお手並み拝見・・・。

地震や津波以上に熱中症や自殺での死者が
増えなければいいとものだけども。
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2011年07月11日

ボクにとって吉田拓郎は70年代で完結してしまったのかも・・。

昨日は松山市三番町のシングアウト
というライブハウスに入り浸っていた。
お昼は歌声喫茶で懐かしい「昭和の歌」
を怒鳴っていた。

中でも「友よ」を30人みんなで歌うと
けっこう若かりし頃、先輩に誘われて
フォークソング喫茶でワクワクしながら
歌っていた頃の自分を思い出し
感慨深いものがあった。

夜は吉田拓郎のコピーバンド
(本人たちはリスペクトバンドと
言っていた)が歌うライブに参加した。

初っ端「春だったね」と「マークU」と続けて
あの名盤と言われた「ライブ72」の出足を
そっくり真似て演奏していて、意外と感動した。
とくにリードギターが見事に当時のライブ
のイメージを再現してくれていた。
それにドラムもベースも遜色ない演奏だった。

まあ、ボーカルは正直がっかりしたけど
拓郎の声や歌を真似るのってほんとに難しい。

井上陽水の曲を小田和正が歌ったり
玉置浩二が歌ってもけっこう絵になるが
拓郎の歌を彼らがどんなにうまく歌っても
所詮絵にならないように、
拓郎の歌は拓郎が歌うから聴けるので
彼以外が歌っても絵にならない。
(くどー)
でも後のほうの曲になると
雰囲気をうまく捉えており、
それとなく聴かせられる演奏だった。

ボクは吉田拓郎ファンだけど
彼に傾倒していたのは高校時代に
「イメージの詩」「マークU」そして
「今日までそして明日から」を聴いて
ショックを受けアルバム「ともだち」を購入し
続いてアルバム「青春の詩」「人間なんて」
そして「元気です」を両親に頼み込んで
買ってもらった頃で、
この頃は家にいるときはいつも
彼の音楽が流れていたように思う。

今も当時のレコードがあるけど
聴きすぎたためかシャリショリという
擦り切れ音で聴きずらいが、
当時の思い入れを感じる。

しかし大学に入って73年に「伽草子」
74年に発売したアルバム「今はまだ人生を語らず」
でだんだんとワンパターンのように思うように
なっていたのと、心をくすぐるようなメッセージが
世界観や人間観を感じることができなくなり
拓郎自身に興味が薄れてきはじめた。

まあその後も彼の作った曲は聴いていたし
武田鉄也主演の「刑事物語」の主題歌や
彼自身も高杉晋作役で出演した「ローニン・坂本竜馬」
で加藤和彦と主題歌をはじめ映画に使われている
曲は今でも心に残っているくらい秀作だと思うし、
その後の「ローリング30」などなど
次から次といい曲を出してはいたが、
次第に興味が薄れていった。

まあ、拓郎についてくどく書くのは
もうこのくらいにしようと思うが
その後のサザンの桑田や中島みゆき、ユーミンなど
すばらしい才能を持ったシンガーソングライター
というかアーチストが出てきて、
今も第一線で活躍しているし堂々と健在?
しているが70年代の吉田拓郎のパワーは
及ばないだろう、何て勝手に思っている。


話は変わるが原発問題はどうなるのかね、
再稼動するしないが国を揺るがすような
議論に発展している。

こんなこと今から判ることだ。
すべての原発を停止なんてできるわけないし、
また国の判断として原発促進また進めていける訳ない、
とりあえず日本の得意な灰色の決着しかない。

つまり政治的に推進できるところは推進して、
中止できるところは中止するということしかできない。
そして都合が悪くなったらまた変更していく
はっきりとした理念のない国はつなにこの
繰り返しになることだろう。
それでいいのかもしれないね日本は・・・。

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2011年07月07日

欧米の「エリート教育」は「忍耐教育」なの?

数年前に「若者はなぜ3年で辞めるのか」
といったような本が話題になったような気がするが、
義弟の勤めている食品会社も先月で大学卒の
営業社員と高校卒の工場で働いていた
女性社員が辞めたらしい。
3ヶ月も続かなかったようで
管理責任を追求され少し落ち込んでいた。

この本では3年で辞める原因を
年功序列や終身雇用の崩壊がいちばん
ということらしいのだが、
義弟の話の経緯をいろいろ聞いてみると、
どうやらそれだけではないらしい。

いちばんは「思っていた仕事と違っていた」
ということらしく「毎日意欲の湧かない
つまらない仕事ばかりで耐えれない」
ということらしいのだ。
つぎには「人間関係がうまくいかず、
理不尽な理由で叱られたりミスを自分の
せいにされたりで、耐えれない」
ということらしい。

まあどの職場にも多かれ少なかれ
つねにあるような話ばかりだ。

話は変わるが世界のエリートを輩出している
イギリスのケンブリッジやオックスフォード大学
に進学するような学生のいくパブリックスクール
はまず忍耐力を学ばせる、という。

毎日5時までに起きてトイレの掃除をするとか、
冬は便座が寒いので上級生のために
下級生が便座を暖める、とか、
真冬でもベットルームの窓を
開けっぱなしにして生徒は粉雪舞い散る
部屋で毛布に包まり、歯を食いしばって寝る、
というようなまさしく理不尽な経験を
強制的にさせられるという。

まあ恵まれた階級の子どもが集まる
のだからこそこういった「意図的な苦痛」
には意味があるのだろうけど・・。

面白いのはイタリアのミラノになる
エリートスクールはミラノ大聖堂の前で
乞食をさせられる。
お金持ちやエリートといった見栄や
優越感などすべて剥ぎ取り
ただの人間として出発してみろ、
という教育法らしい。

世の中は理不尽なことや不公平なこと
不合理なことに溢れている
学生の頃からそれらとどう向き合っていくか、
どう耐えていくか、というところから
エリート教育は出発するということらしい。

とくに今、目を見張る成長をしている
韓国もエリート教育として厳しい訓練や
規則正しい生活をしなければならない
軍隊をあげている。

韓国は2年間の徴兵令があり、
そこで多くの若者が現実の厳しさを
学ぶというのだ。

まあボクはこういった厳しい教育が
全く正しいとは言わないが
生物学者のコンラッド・ローレンツの言うように
肉体的苦痛は人間の忍耐力や意欲や好奇心の
形成に大きく影響を及ぼすようだ。

アメリカのように労働者の流動性が
高いほうがいいのか、それとも辛いことにも
我慢してでも会社に残るほうがいいのか、
ボクには判らないが、少なくとも
一度辞めると何度も繰り返し、
フリーターになってしまうと、
今の日本では生活設計がたちづらい、
と言うこと間違いないような気がする。

posted by ぽらん at 16:33| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2011年07月06日

なぜカレーにふくしんずけが付いているの?

今日は食堂でカレーを注文したら
何と、ふくしんずけが付いていた。
驚いて除けてもらったのだが、
とても不愉快で辛い昼食の時間を
贈る羽目となった。
食事が終わった後も
何となく憂鬱な時間となった。

ボクは自分で言うのも何なんですが
性格的にあまり腹を立てないし、
怒りを顔に出さない。

どちらかと言うと自分では温厚で寛容で
慎み深い人間だと思っているのだが、
息子や周りの人間に言わせると
鈍感力が並外れている、
いい意味での無神経といわれる。
これはほめコトバ?だと思っている。

しかしながらどうしても怒りや感情が
もろに顔に出てどうしようもない時がある。

それはカレーを注文した際に
こちらの思いを全く無視して
これ見よがしにボクの数少ない
大嫌いなふくしんずけを
ご飯の部分に乗せられたときだ。

このときだけはどうしも
感情を抑えきれず
怒りで爆発しそうになる。

なぜカレーに乗せる前に
「ふくしんずけはいかがしますか?」
という一言がいえないのか、
カレーにふくしんずけを乗せるのが
当たり前と思っている横暴さと無知さに
乗せた人間に対して怒りを通り越して
殺意まで感じてしまうのだ。

息子たちはそんな現場に居合わせると
怒りで顔が変わっている自分を見て
危険を察知し、すぐに手を引っ張って
違う話題を話しかけ、
その場を何とか繕うとする。

しかしボクは有無をいわさず
乗せるほうが絶対に悪いと思っている。
またどうしてもふくしんずけを
乗せたいのだったら、
「当店は必ずふくしんずけが付いていますので、
お嫌いな方は当店はご遠慮ください」
という看板でも作るべきだ。
ボクは絶対にこの店には行かないから。

実際カレーの専門店、たとえば
COCO壱番屋やデリー、ライオンなどは
あとで客が選べるようになっているし、
アルプスやスパイス王国、ラルキーといった
本格的インド風のカレー専門店などには
まったく影も形がないのだ。

だからカレーにふくしんずけが当たり前
と思っている人たちは許せないのだ、
なんちゃって・・。

今日の国会中継の菅総理大臣の表情や
視線を見ていたら、もう完全な思考停止状態か、
あるいは精神混濁状態ではないだろうか、
てな気がする。
石破氏や塩崎氏からの質問に関しても
内容に関して答弁する、というよりも
条件反射的な応答に終始し、
まるで財務省の詐術士の祈祷に打たれ
催眠にかかっているような気がした。

本当に「コトバ」って解釈によって
つねに360度、全方向に開かれている
不気味な代物なんだろう。
「一定のめど」というコトバの本意は
いったいどこにあるのだろうか?

でもこうなると菅さんにこのままどこまで
居座われるか、社会実験として
がんばってもらいたい気もしたり、
案外1年くらいいたりして・・・。





posted by ぽらん at 14:12| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記

2011年07月04日

普通に働いて普通に生きることはできないの?

先日、近所で起こった年寄り同士の
笑えるような(笑ったらいけないんだけど)
ある事件のことを考えていたら、
「やはり人生、ヒマだとロクなことを
考えないし、ロクなことにならない」、
「年寄りの人生に必要なのは適度で快適な
コミュニケーションと充分暇つぶしに
あたいするくらいの面白いこと
(トラブルでもいい)のふたつで
これがないと厳しいってことだ」と
つくずく思ったねぇ。

よく「お金がないから老後が不安」とか
言ってる人がいるが、そうじゃないと思うのだ。

お金なんかよりコミュニケーションの方が
よほど人を救うし、
朝起きればすることがいくらでもあるし、
それなりに忙しければ人は
不幸を感じるヒマがないのだ。

40歳前後のひきこもりの息子を、
70歳を超えた母親が保険の外交や清掃業務に
従事して支えている、みたいな話を聞くけど、
あれって母親の方も自立していない息子
のおかげで救われているのかもしれない。
(救われていない人はゴメン)

毎日やることがあってヒマにならないし、
「自分がいないとダメだ」と思える相手がいて、
グチや叱責も含めてコミュニケーションが生まれるし、
なんといっても自分の存在感がある。

子供が独立し、結婚して孫もできたけど、
仕事で海外にいてほとんど帰ってこない。
母の日と正月など年2回電話があるだけ(花は届くけど)、
という状態で毎日一人でひがな暮らしている
70歳の母親とどちらが幸せか?と言われたら、
どうだろうか?

ひょっとしたら幸福感とか親としての存在感は
前者のほうがあるかもしれないね。
「よくできた息子」は必ずしも
親孝行な息子とは言えない、なんて思う。

人に希望やコミュニケーションを与えるのは、
仕事と家族と個人の趣味の3つしかない、
なんてある哲学者が言っているけど、
人生はほぼこの3つで成り立っている。

全部揃う必要はない、というか、
全部揃うのはむしろマレだろうけど。
ふたつあればいいし、まあ最低でもひとつあれば
いいと思う。

振り返ってみると、日本は経済が停滞し、
まずは「仕事」が壊れ、そして「安定した生活」
が壊れた。

社会には、なんの工夫も必要なく、
なんの変化もない単調な仕事が一定数存在する。
そういう仕事がなければ社会はうまく回らないし、
安定した社会は望めない。

事実、ボクの父親をはじめ伯父さんや
伯母さんたち従兄弟連中の多くはそれほど
特殊な仕事をしていたわけではないが、
まじめに、休まず仕事をしていただけで
給料は何十倍になっていて、
家庭や子どもを思う通りに育てることができた。

今、そういった仕事の数は、派遣や学生アルバイト
主婦・高齢者パートなどといった
「仕事に生き甲斐を見つける必要はない」
人の数とバランスしているのが理想なのだろう。

同時にその反対側として、やりがいであるとか、
なんらかの面でおもしろいと思える
変化のある仕事の数と、おもしろい仕事を
したいと思っている人の数も
バランスしている必要がある。

ところが日本は1990年以降、全体として
新しい「やりがいのある仕事」や
「おもしろい仕事」を増やせていない。

昔だったら個人はなんの工夫もしなくても、
どんどん新しい仕事が増えていた。
単調な仕事も技術と世の中の変化により
進化を余儀なくされ、
ずっとやっていてもそれなりに楽しめた。

今は多くの人がおそらく一生このまま
何も変わらないと思える
なんの変化もない単調な仕事をやらざるを
得なくなっている。
そういう仕事に「希望」を見いだすのは困難だ。

じゃあ、自分でそうではない仕事を見つければ
いいじゃないかというのは正論だけど、
そうできない人は一定数、必ず存在する。

昔はそれでもよかった。
なぜなら家族に生き甲斐を見いだすことが
(今に比べれば)圧倒的に容易かったからだ。

とりあえず誰かと結婚させられ、
とりあえず子供が生まれた。
結婚や親になることにそんなに積極的でなかった人も、
いやおうなくコミュニケーションをとる必要が生まれ、
日々成長する「希望の種」(子供)と暮らすことが
可能になった。
これなら仕事が退屈でくだらなくても、
それはそれでいいと思える。

仕事も家族も、自分の生きる支えとなるものを
手に入れるのが昔より圧倒的に難しくなっている。
じゃあ、個人の趣味が充実していて、
それだけで幸せに生きられるかというと、
そういうものを見つけるのもまた、
仕事や家庭を手に入れることと同様に難しい。

収入が伸びない現在においては、
それを見つけることも、
より難しくなっているかもしれない。

どれも手に入らない、どれも手に入る
見込みがない状態で希望とコミュニケーションを失い、
ヒマをもてあます人を、多くの
「依存性エンターテイメント産業」が待ち受ける。

アルコールしかり、パチンコしかり、競輪・競馬
などの各種ギャンブル、株式投資、ショッピング、
そしてゲームを含めたネットサービスも
その一端を担ってる。

ご丁寧にそれらへの依存を持続可能にする
「消費者金融」という仕組みも存在し、
そのボトムラインが“自殺統計”に現われる。

「私はもう十分豊かだ。
無理して経済成長なんてしなくていい。」
という意見には諸手を挙げては賛成できない。

タイタニック号のような大きな客船の
上半分に乗っている人はそれでいいだろう。
しかし、社会が成長し変化しなければ、
船は下の方から順に沈んでいく。
(実際もうかなり沈んでいて、
大変なことになっている人が増えている。)
「自分は今くらいでいいと思う」というのは
ちょっとだけ幼稚かもね。

自分で創意工夫して努力して考えたら道は開ける!
というのは正論だと思うけど、
何にも考えずに社会の波に流されているだけで
幸せになれた時代こそがいい時代だったと振り返られる。

努力が求められることはもちろん、
才能やセンスまで問われ、
それらがなければ幸せになれない時代なんて、
大変すぎる。


posted by ぽらん at 16:40| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記

2011年07月01日

高度成長社会に別れを告げる「玉音放送」を今。

「私の判断ではなく、
国の命令で行ったのです。
お国の命令に逆らえば
どうなるかあなたも
よくわかっているはずだ」
という校長先生。
しかしやってきたGHQの兵士は
「たとえそれが国からの命令だとしても
最終的に判断したのはあなたです、
責任はあなたにあります」
といって戦争責任者として
校長先生を拘束した。

今朝放送の朝のドラマ「おひさま」
のワンシーンだ。
戦後処理を描いた映画やドラマで
よく見る風景だ。

正直、当時の日本の状況からすると
実質的に権限を与えられていない人間に
その責任を負わすのは酷なことだと思うのだが、
やはり誰かが責任を追わなければ
占領軍であるアメリカとしても面子というか、
戦争の仕舞がつかないだけに悲しいことだ。

まあボクの親戚には日本は必ず戦争に勝つ
といいつづけ、たくさんの若者を志願させた
校長先生がいた。
しかし戦後まもなく責任をとり、
校長室でクビを吊って自殺をした。

本当に日本人が混乱したのは戦後、
突然価値観が180度転換してしまったのだから
それはそれは大変な時代だったのだろうね。

それはそれとして去年の国税調査で
いままで標準世帯とされていた夫婦二人に
子ども二人の4人家族、というモデルが
単身世帯に変わりそうだ。

今日本で一番多いのが単身世帯で
すべての世帯の30%を超えたらしく、
この割合は世界で最も多いと言う。

ちなみに65歳以上の人口23%(多さ)と
15歳以上の人口13%(少なさ)は
ともに世界一らしい。
そしてあと数年後に団塊の世代が
65歳をなる頃には30%を超え、
衝撃的なカタストロフは待ち受けている。

まもなく社会保障の崩壊宣言を
しなければならなくなろうだうが
いったい誰がするのだろうか?

クロちゃんは戦争の終結を告げる
天皇陛下の玉音放送のようなけじめをつける
アナウンスが必要だと言う。
今までのような大本営発表から、
本当のことを勇気を持って国民に話す政治家が
出てこなくてはならないのでしょうけど、
それはいったい誰?

「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、
よって万世のために・・・を欲す」
と言えばいいのだろうが。

オレは戦犯にはなりたくないから
いちぬけた、なんていう政治家たちの
長い列になりそうだね。

それともにわか内戦でも起こして
合理的な粛清でも始めるのかな?
あー怖い怖い。
posted by ぽらん at 13:24| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2011年06月29日

松山の仁(ジン)先生もかっこいいのだ。

先日最終回を迎えたTBSの連続ドラマ
「JIN(仁)」は久しぶりに退屈させない
テンポのいいドラマだった。
案の定最終回の視聴率は27%近くまで
上がったようだ。

このドラマの魅力は主人公である
医者であるジン先生の人柄をはじめ
様々なキャラを大沢がものの見事に
演じていて、これが番組の全体を
魅力的なもにしたようだね。

でもボクの友人にも
大沢にそれほど負けていない
とてもかっこいいジン先生がいる。

その先生は2年前までは地元の
デザイン専門学校の副校長先生で、
すべての授業の統括責任者だった。
一昨年定年を迎え、現在はかつて主宰していた
美術研究所を復活し、芸術大学の美術科を目指す
受験生の美術の実務指導をしている。

この先生とボクが知り合ったのは
今から30年ほど前に話題になった
ある歌がきっかけだった。
その歌は「ジン」という題名で、
副題として「よもだのジンさん」となっていた。

歌詞の中でもジン先生が我が物顔で
胸を張って大街道を闊歩する風景が描かれており、
気持ちがいいほどそのイメージが絵になるのだ。

「よもだ」と言う意味はいろいろ解釈によって
いろいろ違うのだろうが、
ボクはユーモアとウイットに溢れた憎めない
おちょうしもの、何事にも動じない腹を持ち
毎日を「風流」に生きているひょうきんなおっさん、
でありながら少しばかり覚めた目をして、
すべてに批判精神を持ちえ、風刺と皮肉を忘れない、
なんて好き勝手に捉えている。

もし正岡子規が今生きていたらおそらく
こんな感じだったような気がする。

ジン先生は紛れもなくかっこいい
「松山人」であり「ジン先生」なのだ・・・。

松山人だったら絶対にこの先生と一緒に
珈琲を飲んで、馬鹿話をしないと損をする
ような気がするのはボクだけではないと思う。
posted by ぽらん at 23:21| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記

2011年06月27日

国やマスコミを信じなくなっている若者たちの出現は?

今日の朝、突然やってきた友人と
近所のマクドナルドに行った。

「コーヒーふたつ」と言って
240円を黒いトレーに入れたら、
若いスタッフが「あの、エスサイズは
お二つで280円になります」と言われた。
驚いてメニューを見てみると
エスサイズ140円になっていた。
びっくらこいた。
当然に値上げで愕然とする。
これは紛れもなく増税の兆しだろう。

ところで日本は今まで国際的にみて
「圧倒的に政府やマスコミへの
信頼度が高い国」だった。

いつかの日経新聞のデータでも、
日本人は他国に比べてマスコミへの信頼度が
とても高いということを示しているけれど、
国への信頼度に関しても同じような
国際比較があったと思う。

この「最後は国がなんとかしてくれる」
「何かの時はお上に頼ればいい」とか、
「とりあえずテレビがあれだけ言ってるんだから、
完全に嘘でもないんじゃないの?」
「だって新聞に書いてあったもん」
的な感覚は、今や「百害あって一利無し」
になっているようだ。

そういう感覚が完全に壊れて、
「公に頼らず自分の力で生き抜かなければ!」
とか、「マスコミの言うことなんて全く信じられない。
自分で情報を集めて自分で考えて判断しなければ!」
と思う人たちが若者を中心に広がっている
と仙台に2週間もボランティアで行っていた
知人が言う。
もしほんとうにそうなっているのだったら
正直、日本の未来はまことに明るい?。

もちろん、これまでも少しずつそういう
信頼は壊れつつあったけど、
まだまだそれは一部の人の動きだった。
未だにNHKの受信料を払っている人がいるし
くだらない地元新聞などに月3000円も
払って買っている人が何千万人もいるのが
まだこの国の現状だ。

ところが今回の震災と原発事故によって、
意識の変化は決定的なものとなり、
一気に大きく変化しつつある。
いわゆる「潮目が変わる」ということが
起こっている。

今までなら「そうはいっても変わるわけないよ」
と考えていた保守的な人やボクの両親までもが、
「やっぱり時代は変わりつつある。

もう政府とマスコミは信じられない。
正しい情報は自分で集めないと。」と思い始めている。
国が発表しマスコミが報じる原発事故関連の情報を
信じている人は、福島県にはもちろん、
全国でもどんどん少なくなりつつあるはずだ。
(今では全くいないかも・・)

加えて笑えるのが、新聞やテレビがやたらと
「東電は信頼できない。政府も信じられない。」
と書いたり言ったりすること。
「へっ?それってまさか、新聞がまだ
信じられてるとでも思ってる?」って感じだ。
あの人達はホントにおめでたい。


常日頃から中国人の人のたくましさを見ていると、
その根底に「頼れるのは自分だけ」という
強い信念がある。
彼らは中国政府のことも中国のマスコミのことも
全く信頼していない。
アメリカだって「基本は自己責任。
自分を守るのは軍でも警察でもなく自分。
だから銃規制なんてありえない。」という。

大きなNPOやNGOが多数存在する欧州も、
政府を無思考に支持する人は圧倒的に少ない。
日本だけが特殊に従順で権威に弱い国民だったのだ。

しかし、しかしだ、日本だって今回の災害と
原発事故を機にして、一気に意識が
変わろうとしていることは間違いない。

後は、JALと東電に続きもういくつか
大企業が潰れて、かつ、夕張に続き、
いくつかの(四国でもいいが・・・)
自治体が破綻すれば完璧に変革の地盤が
生まれるのではなかろうか。

そうすれば、「国には頼れない」
「マスコミは信じられない」に続き、
「安定した大企業に入っても生涯、安心なわけではない」
「公務員もやばいじゃん」という世界の常識が、
ようやく日本でも理解される。

でもクロちゃんからすると、
もうすぐ日本は社会保障システムが崩壊する
年金や保険が強制的に削減されるかもね
それがいつか?
デイ・アフター・ツモーロウ。
それは明日かもしれない。

今から60年ほど前は突然赤紙で
拉致して戦場に送り込んだ国だから
何するか分からないよねぇ。

posted by ぽらん at 13:09| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記